半年以上前の雑誌の記事のこと




平川地ファンでお友達のぴりさんのブログに、9月頃取り上げられていた雑誌の記事のことが気になっていました。








 そちらには雑誌の写真も載っており、『奇跡の兄弟の残像は今も鮮やかに…潔い引き際に感服しつつ一抹の悔恨も』
という見出しも興味をそそるものでした。
ぴりさんにその記事をもっとちゃんと読んでみたいことを伝えると、その雑誌のコピーをすぐに郵送してくださいました。
ありがとうございます!


そしてあらためて読んでみて・・・
わたしのようにこの記事の存在を知らなかった方に、読んでほしいなぁという気持ちが膨らみました。
その雑誌は「別冊宝島1598」。106ページの「NICE BUDDIESファイル#12」といページです。
文:榊 ひろとさん[音楽解説者]
文章の、どの部分を切り取り抜粋するか計りかねました。どこの部分も切り離せないのでほぼ全文載せてしまいます・・・
(榊 ひろとさん ここ読んでたらごめんなさい。許してください。)





平川地一丁目


『奇跡の兄弟の残像は今も鮮やかに…潔い引き際に感服しつつ一抹の悔恨も』


世に連れない音楽性、痛切なボーイソプラノ、鮮烈な言葉。
当時15歳と12歳の兄弟デュオの歌は業界を揺るがし、ファンの胸を射抜いたが、
わずか5年後、成長にアジャストした活動スタイルを模索するうちに解散。あれは刹那の輝きでしかなかったのか?





 突然の解散から約半年が過ぎようとしているのに、その余韻や残像はいまだに鮮やかなままだ。
思えば平川地一丁目は最初から最後まで芸能界はおろか音楽シーンにとっても、異質な存在のまま風のように駆け抜けたと言っていいだろう。
 “失踪中だった母親に連絡を取りたい”という結成の動機と経緯からして一般のアーティストとは全く違っていたわけだし、
小6で曲作りを始めた兄・龍之介は流行りのJポップに染まることなく父親世代の影響をダイレクトに反映させ、
初録音時に小6だった弟・直次郎は痛いくらいに切ないボーイソプラノ全開で歌った。


 つまり様々な環境やタイミングが奇跡のように作用して形成されたのが、初期・平川地の特異な世界だったと言えよう。
だから直次郎の声変わりという要因を抜きにしたとしても、作品のテーマが普遍的なものへと広がり、
音楽的にも洗練され演奏/歌唱の技術が向上するという本来なら《成長》と呼ぶべきステップが、逆に作用してしまったのは皮肉なことである。


 それでもなおリスナーや業界は彼らの《旬》だけを貪って《成熟》を待つことができなかったのでは?という一抹の悔恨が残るのは、
年端もゆかない2人がまさしく魂を削るような想いで闘い続けてきたことを充分承知しているからだ。
華やかな世界に触れて妙な勘違いもせずに見事な引き際を演じられたのも、真摯な姿勢と兄弟の絆あってのことだろう。


 作詞/作曲/プロデュースとメイン・ヴォーカルの(ほぼ)完全分業制が平川地の最大の特徴だった。
もし創作の才と歌声/容姿が一人のティーンエイジャーに集中していたらカリスマ的なスターを生み出せたのかもしれないけれど、
それが本人や聴衆にとって幸福な結果になったかどうかは別の問題だろう。


 直次郎が2本の映画出演を経ても芸能人として覚醒しなかったのはちょっと残念だが、
龍之介には裏方でも物書きでもいいから想像や表現の可能性を模索してほしいと思う。
ともあれミューズの魔法によって一瞬だけ天才/神童だった子供たちは、普通の若者として各々の新たな人生へと旅立った。
幸多からんことを祈るばかりだ。





ミューズというのは芸能や音楽の神様ですね。
「華やかな世界に触れて妙な勘違いもせずに見事な引き際を演じられたのも、真摯な姿勢と兄弟の絆あってのことだろう。」
こうして一年過ぎて、あらためて彼らの引き際の潔さに感服する今日この頃です。。