久しぶりの更新です。
今日は、今まで書かなかったけど、義父のこと、そして私の今のありのままの気持ちを書きたいと思います。
お義父さん、いいよね?







現在68歳の義父は、51歳の時、脳溢血で倒れた。働き盛りの人生は暗転した。
幸い一命は取り留めたが、運動神経麻痺、言語障害、記憶障害、視野障害てんかん発作など、様々な後遺症が残った。
でもそんな後遺症に苦しみ、車の運転など出来なくなってしまったこともたくさんあったけれど、
なんとか普通の生活ができるぐらいまでに回復した。
だけど見た目は普通ということもあり、なかなかその後遺症を周囲に理解してもらうことが難しく、
義父の精神的な辛さは私が想像する以上のものだったと思う。


私が結婚したのは、義父が脳溢血で倒れた1年後ぐらいの時だった。


そんな義父が去年のお正月に一人で歩くのもままならないほど急激に体力が弱り、体調の悪さを訴えた。
病院で調べてもらったところ、もともと患っていた慢性腎不全が進行して末期腎不全になり、そのままでは生命を
維持できなくなるというので、週3回の人工透析が一生必要な状態になった。
しかもその際いろいろな検査をした結果、胃癌が見つかり、透析というリスクを抱えながらも摘出手術をした。
手術は無事終わり、術後15kgも痩せたが無事退院。


退院後自宅に戻ってきた義父は、前々からの後遺症状が以前よりもっとひどくなった。
特に言語障害の症状が悪化し、自分の思っていることを上手く言葉に出来なかったり、相手の言うことを理解出来なかったりと、
傍で見ていてもその辛さは計り知れないものがあった。
でも当初は旦那さんと私の介助を必要としていた透析などの様々な病院通いも、今年に入ってからは体調がいい時は
一人で病院から帰ってくることが出来るまで体力は回復し、身の回りのことは概ね自分一人で出来るようになった。
今思えば、Hもまだ小さかったし、病院の送り迎えなどをしていた私に迷惑はかけたくないと気遣って、
なんとか自分で出来ることは頑張ろうとしてくれていたんだよね。


でも以前ブログにも書きましたが、そんな義父が7月10日の深夜に自宅寝室で倒れ緊急入院した。脳内出血でした。
命に別条はなかったものの、右半身麻痺の後遺症が残り、医師からはリハビリをしても回復はあまり期待出来ず、
退院後は一生介護が必要な体になってしまうことは必然と伝えられた。私たち家族は今までと同じにまた必ず回復し
元の生活に戻れるはずだと信じていたので、医師の言葉に打ちのめされ落胆した。
私の不安は大きかった・・義父の病状もさることながら、退院後の生活を考えるとこれからどうすればいいのか落ち込んだり、
先行きの漠然とした懸念や心の葛藤を感じたりすることも正直あった。在宅介護が並大抵のことじゃないことは、十分承知だから。
でも隣に住んでいるとはいえ、在宅介護で義母にだけ過剰な負担がかからないよう私たち家族もみんなで介護の役割分担をして
義父を支えていこうと覚悟を決め、みんなが気持ちを一つにした。
旦那さんは私に、「これからいろいろと大変な思いをさせるけれど、よろしく頼む。」と頭を下げてくれた。
義父のことで家族の絆はより強くなったよね。
その後病院から介護申請をすることを勧められ、介護認定の訪問調査も行われた。私たちは義父の自宅のリフォーム計画など、
義父が退院し在宅介護をスタートさせる為の環境と心構えを着々と整えていっていた。


そんな矢先の出来事だった。義父の身体の異変に気付いた医師が検査した結果、癌性腹膜炎に侵されていると診断された。
余命数ヶ月の末期癌であるという宣告。
この時点で予想だにしていなかったあまりに突然の余命宣告に、状況が理解できないというか受け入れること出来ず、
家族みな心が激しく動揺した。あまりに短期間の間に次々と状況の急激な変化が起こっていたので、
ついていくだけで必死だった私は、戸惑い、全身から力が抜けていくような日々が続いたのです。


そんな余命宣告から数週間経った今、ようやく義母も私たちも落ち着いてきたけれど、今はまだこれまでの義父の人生を振り返ることはしたくない。
でも、悔しいね。本当に悔しいね、お義父さん。
長い間病気と闘ってきた義父の身体は、もうあちこちが限界で悲鳴をあげている...
若い頃の義父は仕事人間であまり家庭を顧みず、母子家庭同然だったって義母が言ってたけど、
でもさ本当はお義父さん、老後はお義母さんと二人でのんびり過ごしたかったんだよね?
それなのに・・・それなのにね・・・



今、食事も摂れなくなり段々と衰弱してる義父の姿を見ていると、切なさや何も出来ない自分に腹が立ったりなど、
その動揺や葛藤は言葉に出来ません。 私に出来ることは痛む身体をさすってあげる事と笑顔で接することぐらいしかないけれど、
今はただ、義父の生命力を力いっぱい支えたい。そして死と向き合うよりも生と向き合っていく時間を大切にさせてあげたい。
そう思っています。
同居していた時、私は決して良い「嫁」ではなく、後遺症を抱えながらも厳格だった義父との間に
少なからぬわだかまりを抱え、価値観の違いが埋められず、悔し涙を流したこともいっぱいあった。
でもそんな生活から、私はたくさんのことを教えられたんだよ、お義父さん。本当に感謝しています。
だからこそ、今は共有出来る時間を大切にし、義父が残された貴重な日々を大切に過ごす事が出来るよう気持ちに寄り添い努めたい。
そして、お義母さんと旦那さんを支えていきたいと、そう強く思っています。



人は皆、誰しもが悩みを抱えながら生きているものですよね。そして生きている以上、必ず人の死に遭遇するもの。
でもそれは、とても辛いことではあるけれど、今自分が生きていることの尊さを教えてくれているのかもしれませんね。
自分の身にもいつ何が起こるかわからない。
だからこそ生かされていることに感謝し、自分らしく楽しく時間を積み重ね生きていきたい。
精一杯悔いのない人生を送りたいなんて大げさなものではなく、日々の小さな幸せに目を向け感謝し、
一日一日の時間を大切に感じて過ごしていきたい。私はそう願っています。


よし、また笑顔で義父と向き合おう!
いつも笑顔で会いに行くからね、お義父さん!!





ここまで長文を読んでくださって、本当にありがとうございます。
心の中にずっと抱えていたものを、ブログに書くことで、少しは吐き出せたような気がします。
でも今日は、まだまだブログ続きますよ。笑




さて、あまりに突然ではありますが、 今日でこのブログ「ruruの独り言&天然赤石便り」は終わりにさせていただきます。
ruruは、平川地の音楽に出会い、自分らしくいるためにこのブログを始めたわけですが、
今は自分らしくいるためにブログを終わりにしようと決め、赤石さんに伝えました。
ただ私としては、私がやめることで赤石さんまでもがブログをやめる形になってしまうのは決して本意ではなかったので、
赤石さんには是非ブログを続けてもらいたい気持ちを伝えたところ、別の場所で続けてくれることを了承してくださったので
ココ「ruruの独り言&天然赤石便り」を今日を以て閉じる運びとなりました。




やめる理由はいろいろあります。
でも、最近なかなか更新出来ず、赤石さんにご迷惑をかけ申し訳なく思い、ずっと心苦しかったのが一番の理由です。



赤石さん、赤石さんとこの「ruruの独り言&天然赤石便り」という場所を始めて、かれこれ6年ぐらい経つでしょうか?
この間、私たちにもそれぞれいろいろな出来事がありましたね。
でも赤石さんという信頼し尊敬できる存在があったからこそ、今まで続けてこれたんだと思っています。
今回、私からの申し出を快く承諾くださいましてありがとうございました。
私にとって赤石さんのブログは、まるで本のページを捲るように読み進めることができ、共感したり、笑ったり、考えさせられたり・・と
毎回大変興味深く楽しませていただきました。 そんな赤石さんと今までこの空間を共有でき幸せでした。
この空間を通じ、私は赤石さんからたくさんのことを学び、育てていただき、そして私の世界を広げてくれたと本当に感謝しています。
赤石さんとのこの貴重な出会い・経験を大事に大切にして、これからも自分なりに日々を彩っていきたいと思います。


う〜ん、なんだか堅いな。笑
赤石さん、好き!好き!大好き!笑。本当に本当にありがとうございました。
楽しかったです!!
これからは赤石さんのブログの一ファンとして、別の場所での更新を楽しみにしていますからね!



そして、今まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
この場所には、母の老い、認知症発症、そして死別。捨て猫だったグーグーとの出会い。
それに、40歳にしての妊娠、出産・・・など、自分の人生において転機となったような大きな出来事がいっぱい詰まっています。
そして、その時々の感情を記録として残せたことは、私の財産となりました。
皆さんからいただいたコメントの暖かい言葉、優しい心に支えられ、乗り越えられたことがたくさんあり、
感謝してもしつくせないほどの感謝の気持ちでいっぱいです!ありがとうございました。
本当なら皆さん一人一人にお礼申し上げたいのですが、この場で挨拶させていただくことをお許しくださいませ。
今後は赤石さんの新しいブログのほうを、どうぞよろしくお願いいたします。引き続きお楽しみくださいね!



赤石さん、今まで読んでくださった皆さん。
そして、もちろん全てのきっかけとなった「平川地一丁目」。
そのそれぞれとの出会いに感謝する気持ちは、どんなに時を経ても色褪せることはないと思っています。
人の縁は奇跡に等しいものだからね。
だからこそ私はこの場所から得たその奇跡のような縁を心の財産とし、これからも自分らしく毎日を過ごしていきます。






皆さん、どうか、どうかお元気で!!!
さようなら。
本当にありがとうございました。






最後に。
ブログやデータなどはこのまま残し、いつでも読めるようにしておきますが、
今後いただいたコメントへの返信は、赤石さんも私も差し控えさせて頂きますことをご了承ください。
ごめんなさい!