前のブログを書いたのは、まだ一週間前かぁ〜〜〜と思うぐらい
私にとってこの一週間は、長く、重く、そして‥
たまらなく怖くて怖くてどうしようもなかった時間でした。
はぁ‥‥。
でも今やっと、この一週間のことを振り返れるようになったかなぁ。


生々しい表現もあるかもしれませんが、自分の為に書かせて下さいね。






一度回復し、本人の希望で口から食事(ペースト状)をとることを再開していた母。
でも誤嚥を繰り返し、先週末また肺炎に。今は点滴のみの状態。
その様子は前回の時より朦朧としていて、意識はあるものの、
もう口から食べさせるのは危険と判断された。
一生懸命喋ろうとするけど、その言葉は何を言ってるのか聞き取れず
これからのことについて母本人の意思を確認するのも、もう不可能。


そして私たち家族には、主治医から、2つの選択肢を言い渡されました。
それは、母の命の長さを、本人ではなく私たち家族が左右してしまうほどのこと。


人の幸せは命の長さじゃない。
命の長さより、その質、深さが尊い


それは、分かってるの。うん、分かってる。
今でも、そう思う。そう言葉にして言える。
でも、でも実際に、母の命の長さが私たち家族の考え一つで
どうにでもなってしまうかのような決断を迫られた時は、怖くて怖くて震えた。
その状況も、そして自分の存在すらも恐ろしく感じました。



その時は即答出来ず、先生が言った
「お母様の生活の質にとってどちらが良いのか、検討していただきたい」という
言葉を引きずりながら、母の病室に戻り、ずっとウトウトしている母の顔を見ていました。
何か問いかけても、聞き取れないその言葉。
でも、帰ろうとして「帰るからね。また来るから。」と言うと
「ごくろうさん」と、母が言った。
ちゃんと私にも聞き取れた母のその言葉。
久しぶりに意思の疎通を実感したその言葉。
母は、まだちゃんと意思を持って生きてると感じたその言葉。
それは、とてもとても心に届いた言葉でした。
何故だかすごくその「ごくろうさん」という言葉が嬉しかった。


結局、私たち家族は、ある決断をしました。
母は近く、胃ろう(腹部に開けた穴から栄養剤を入れる)の手術をします。
それが母にとってよかったのか、正直言って今もわからない。
メリットもあれば、デメリットもある。
いくらそうすることで母の体力が少し回復したとしても、問題は山積み。
この選択を、責める日が来るかもしれない。悔いる事もあるかもしれない。
ただ、どちらを選んだとしても、きっと葛藤に苛まれるんだと思う。
だからこの一週間、いくらそれも覚悟をしたとはいえ、考えても考えても
苦しく怖かったんだと思う。
それに、「延命措置は望まない」という姿勢だったけど
胃ろうという手段が、果たして延命なのか治療なのか、その区別は
私にも分からない。
ただ今は、その可能性は低いけれども‥また体力をつけて元気を取り戻し
車イスに座った母を、外に連れ出したい。一緒に散歩したいって思う。
もうその目には何も映らないかもしれないけど、一緒に外の空気の
感触や匂いを肌で感じることが出来ればなぁって‥そう願ってます。





今これを読んでくれている人には、
私のこの言葉はどう受け取られてるんだろ?って、ちょっと思う。
自分のブログなんだから、自分の好きなように書けばいいって思われるだろうけど
でも、不特定多数の人に読まれていることを考えれば、内容が内容だけに
言葉を選んでるのも事実。
でも、こうやって今の気持ちを“言葉”にして残すという行為は、私にとって
怖かったこの一週間から、ちょっとだけ抜け出せた証拠。
だから自分にとっては、とっても嬉しいのです。
実は‥‥
この一週間、旦那さんやこどもたち、そして友達も心配し支えてくれた。
そんな中、今日、勝手にで申し訳ないんだけど(笑)
平川地を通して知り合った一人一人の方たちの存在を、強く感じた。
お会いした事のある方たち、お会いした事はないけれどコメントでお話させてもらった
ことのある方たち、その存在が一人一人湧き上がってきて
なんだかすごく前を向くことが出来た。とても不思議な気分だった。
お顔を思い出したり、交わした言葉を思い出したり‥その力が
こうやって自分の言葉と向き合い、ブログに書けるようになったんだと思う。



だから勝手になんですが(笑)お礼言わせて下さい。
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
元気もらいました。


さ〜てとっ、無理はしないけど、しっかりしなきゃ。
そして、夏のツアーも行く!笑
絶対、行く!!笑