今日、隣のお義父さんが「お願いがあるんだけど‥」と言ってきた。
9月24日からお義母さんと2人で旅行に行く事になり、空港までの送り迎えを
お願いしたい‥という内容だった。(本州最南端に行くらしい‥)
お義父さん、嬉しそうだったなぁ。ずっとお義母さんと一緒に行きたがってたもんね。
でもお義母さんは自分の趣味に忙しく(笑)毎日のように出歩いてるような人だから
いつも断られたりして‥
よかったね、お義父さん。




お義父さんは、いわゆる「仕事人間」と呼ばれるような人だったらしい。
仕事が第一で、家の事を顧みず、旦那さんも遊んでもらった記憶がないって言ってた。
単身赴任が多く、子供たちの運動会などの行事にもほとんど参加せず
お義母さんが子供たちのことで悩み事があったとしても、
お義父さんは仕事のことで頭がいっぱいで聞く耳を持たず
相談することすら出来なかった‥って、お義母さんも話してたっけ。


そんなお義父さんが、まさにこれからという50歳の時に、脳溢血で倒れた。
私はその頃の事を知らないけど、命に別状は無かったものの
手足の運動麻痺や意識障害を起こし、自分の名前も家族の名前も分からず
お義母さんはこれからどうやって生きていけばいいのか途方に暮れたらしい。
でもあれから14年‥
自分の努力と周りの人の支えで、今では普通に生活し、一人で買い物も出来るし
バスに乗ったり新幹線に乗ったりするのも一人で出来る。
簡単な料理も自分でするし、リハビリの為に始めた習字も
今では子供たちに教えるほどの腕前になってる。
表面的には、驚くほどの回復をみせ、何不自由無く生活してるように感じる。
ただ今も言語障害が残り、頭では理解出来ている言葉でも、それを声にして
口から発することが出来なかったり、使いたい言葉がすぐに出てこなかったり‥
だから会話してても何度も途切れ、言葉を捜し何分も黙り込むこともしばしば。
また読解力や話し言葉を理解することが難しいらしく、
一度読んだり聞いたりしただけでは意味がつかめず、苦労してる。
意識障害も残っているのか、ところどころの記憶が定かじゃなかったり‥


でもそんなお義父さんが、はっきり覚えてることがある。
そのことを話すときのお義父さんは、言葉もスラスラと話し生き生きしてるよう。
それは‥お義母さんとまだ付き合ってた時や子供が生まれる前に
2人で出かけた場所や通った道、その時あった出来事や会話の内容など
お義母さんもビックリするぐらい覚えてる。
家族全員で旅行に行った時も、
「ここはお母さんと○○に行った時通った道だ。」とか
「前にお母さんと2人で来た時は、○○だった。」とか
懐かしむように、でもハッキリと生き続けている想いを語るかのような口調で
いろいろ説明してくれたっけ。
その度に思ってた。お義父さん、お義母さんのことが、本当に好きなんだなって。笑
だからこそ、その記憶だけは消えずに残り続けたのかな?
脳の仕組みは分からない。
記憶をつかさどる神経の中で、どうして何かが消え何かが強く残るのか
私は詳しいことなんて、何にも分からない‥
でもお義父さんを見てると、自分にとって大切な想いは生き続けるのかなって感じる。


仕事人間だったお義父さん。
でもきっと、いずれこうやってお義母さんと2人で
のんびり出来る日を夢見てたんだろうな。
今では逆に、お義母さんのほうが家に居る事少ないし(笑)
病気になって、ちょっと遠回りしてしまったかもしれないけど
でも、今の2人だから出来る2人だけの旅行を、楽しんで来てください。
ホントよかったね。


もし‥もし私がそうなったとしたら、何が私の中で生き続けるんだろう‥
きっと、家族のことはもちろん
ず〜っとずっと、平川地の歌は生き続けてるはず。笑
いくつになっても口ずさんでいたいな。
平川地の歌は、私にとって「生き続ける力」を持った歌だからね。