先週の土曜日、やっと映画「グーグーだって猫である」のDVDをこどもたちと観た。
確定申告が終わるまでは観ない!って、ずっと我慢してたからね〜。



「弟、ダメじゃん!浮気なんてして」と、お年頃でそういう話題に敏感の娘はお怒りの様子。
まぁ〜まぁ〜本当に直次郎くんが浮気したわけじゃないんだから。笑


「鼻血祭り」の意味もわかったし(笑)猫たちの表情も可愛かったし
何より直次郎くんの歌う姿が今の私にとってとても新鮮でドキドキしながら観ました。


でも・・・・






今の私にとってはそれ以上に、なんとも言えない後味の残る映画でした。



映画を観て、「グーグーだって猫である」の「だって」の意味が
あらためてよくわかったような気がする。



映画の最初のシーン。
サバが何かを悟ったかのような表情で、カーテンの隙間からまだ薄暗い夜明けの空を眺めている、あの場面。
これからまた一日が始まる・・というような「動」を感じさせるのではなく、どこか内面の奥深さを表現した「静」に重きをおいた
あのサバの表情がなんともいえない。
それに、サバが最期の時を過ごすあの瞬間、サバのいる部屋に漂う「静」の空気感と、
麻子さんのいる仕事場のドタバタと雑然とした「動」の空気感という正反対の中で見せる、
あのサバの周りへの気遣い優しさ温かさの深さを感じさせる、美しい孤高とでもいうような姿がたまらなく愛おしかったです。
全体的には淡々とストーリーが流れていくゆるやかな表面だけど、でも人も猫も生きていく上での
現実的ないろんな「静」と「動」が描かれた映画だと感じました。




とにかく観終わった後、2階で寝ていたグーグーを抱きしめたくて駆け上がっていった。
・・・が、噛まれた。(TДT)
相変わらず、私のことだけ噛んでくる!!(¬ε¬)ぶぅ




でも抱きしめた。



ねぇ、グーグー。ありがとう。







我が家のグーグーの「モミモミ」は、息子の毛布で。
何故か息子の使っている毛布でだけなの。におい、なのかな?笑