今週、月曜日から水曜日まで、埼玉から友達親子が泊まりに来ていました。
上の娘たちが生まれた時からの付き合いだから、かれこれ10年ぐらいの付き合い。
当然こどもたちも、物心ついた頃からいつも近くにいた存在。
でも、遠く離れても〈近くにいる存在〉なのは、親の私たちだけじゃなく
こどもたちもちゃんと感じているんだね〜。
そして、だからこそ〈離れることの淋しさ〉も、ちゃんとこどもなりに受け止めようと
しているようでした。


実家が福島の、その友達。仙台から福島の実家に帰ることにしていた友達親子を
福島行きの快速電車の発車ホームで見送った。
動き出す電車。その電車が見えなくなるまで、手を振っていたこどもたち。
電車を見送りながら、泣いていた娘。
そして息子は、私にこう言いました。
「なんかね、ここが(胸を指差し)むずむずする。」
「そっか‥‥‥」
息子の表情に、何にも言葉を返してやれなかった、情けない母。
でもいつかそんな息子も、そんな胸がむずむずするようないろんな淋しさが
あることを知りながら、何度も経験しながら大きくなっていくんだろうな。





楽しかったね。また会おう!




で、ここからが本題。
母のことについての内容ですが、お付き合い下さいませ。







↑の友達を駅まで迎えに行った月曜日。
久しぶりの再会を喜びながらお昼を食べていた最中、母の入院している病院から
電話が入りました。先生から話があるので、来て欲しいとのこと‥
せっかく来てもらっているのに申し訳ないと思いつつ、友達とこどもたちを
家に残し、私は一人病院へ。


先生からの話の内容‥結論から言うと、今のところ容態の急変はないものの、
もう母はいつ最期の瞬間を迎えてもおかしくない状態になったということ。
先生の所見としては、いつまでとは言えないが、今すぐ看取ることになっても
おかしくない状態だと言われました。


とうとうこんな時が来たか‥‥‥というのが、率直な感情。


冷たいのかもしれないし、実感が湧かないだけかもしれない。
それに、もちろん、その瞬間を迎えた時、自分がどうなってしまうのかや
母がいなくなってからの喪失感を考えると、緊張と不安ももちろん抱えている。
でも今の私は、今のこの状況を冷静に受け止めている自分がいます。


きっと、母と私の今までを見つめ、私の中にあったわだかまりや葛藤を認め
許す時間をもてたからかな。
母がこういう状態になる前に、ああしてやればよかった、こうしてやればよかった‥
という、後悔がもちろんない訳じゃないです。
でも、やれることはしたもの。
どんな関係の中におかれても、やらずにはいられないことを今までやってきたもの。
どんな状況においても後悔は付きものかもしれないけど、そんな自信だけはある。
そして、それだけがどうしても出来なかった「母と向き合う」ということも
今やっと手に入れた。
だからかな?
最期を迎えるという辛さのことよりも、今、母と過ごす一瞬一瞬のほうが
私にとって、とてもかけがえのない穏やかな時間で大切なことだから
冷静に受け止められているのかも。
私にとって〈今〉大切なのは、いつ母が最期を迎えるか
泣きながらおびえるなんてことじゃない。


何の病気でもそうですが、認知症という病気は、本当に残酷なもの。
いろいろな機能が、徐々に徐々に思うようにいかなくなり
記憶障害、人格障害、精神症状、行動障害などを、
自分が病気であることが自覚出来ないまま、それでもそんな自分を受け入れなくては
ならなかった〈あの頃〉。
母にとってあの頃の恐怖は、どんなに辛かったろうと思う。
私自身、母に変化が現れはじめた頃、その現実を受け入れられず認めたくなく
自分が自分でいられなくなって、イライラして八つ当たりしたっけ‥
〈あの頃〉は、母も、そして家族の誰もが本当に苦しかった。
でも可笑しな話かもしれないけど、母の徐々に衰えていく姿を目の当たりにする度、
いろいろな機能が低下していく残酷な現実を彷徨ってる母の姿を見る度、
それと引換えに私は、母とちゃんと向き合えるようになったような気がする。
だから母がこの病気になったからこそ、今の穏やかな関係が築けたのかもしれないし
今のこの有意義な時間を過ごせたのかもしれない、と思えるようになったから
先生から告げられた言葉にも、動じることなく、冷静に受け止められたんだと思う。
今頃では遅いという考えもあるだろうけど。



今、家族が母を囲む時、そこには笑いが溢れている。
昨日はこどもたちを連れて、病院へ。
息子は、もう開かなくなった母の瞼を無理矢理指でひろげようとして、
「おばぁ〜ちゃ〜ん面白い顔!!」って母の顔で遊ぶもんだから
可笑しくて可笑しくて大笑い。
娘は、痩せて伸びた母の腕の皮膚を触り、「気持ちいぃ〜〜!!」だって。
そんなこどもたちも、母に最期が近いことを知っている。
初めてそのことを告げた時、ただじっと言葉を噛殺すかのように泣いた2人。
でも母の前では、母が元気だった頃と変わりなく、話しかけ体に触れ、戯れる2人に
本当に感謝しています。


どんなに病気が進んでも、どんなに最期の瞬間が近くても
心ってかならずあるはずなんだと思う。
話すことも見ることも出来なくなったとしても
その中で私という存在、家族の存在は生きていると。
だから母を想う気持ちも届いてると思っています。


小さかった頃、あんなに怖かった母の手を握ってみる。
あったかくて、今は優しい手。
それを《今》実感出来る事は、私にとって幸せだぁ。


毎日24時間側に居てあげるわけにもいかないし、もしもの場合、家から病院まで
1時間以上ある距離を考えると、最期の瞬間を看取ってやることは
出来ないかもしれないと、覚悟もしています。
でも、私が出来る範囲での母との時間を、もう少し楽しみたいと思っています。


でもね、仙台ライブに行けるかどうか、当日まで分からなくなったのは
心配。笑
“今”しか出せない音や空気感を、是非感じたいと思う。
皆さんにもお会いしたい。でも‥分からないや。
その時はその時。どうなるかは、ただその時を待とう。


長々とこんなお話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
書いてる私の一方的な思いで申し訳ないんだけど、ここに自分の思ってることを書くと
なんか、心の痞えがとれるんだよね。母のことを書くのは、止めようかと
思っていたけど、書くと、より前向きになれるのです。
赤石さん、書かせてくれてありがとうです。


明日はいよいよ宇都宮ですね。
行かれる方、楽しんで来てください!