私は全然何も知らなくて(FRGR聴けないので)23日の日記書いたんだけど
15回目のFRGRで龍之介くん車の免許のことについて話してたんだね。
頑張ってね、龍之介くん。
私は一人で車運転してる時間が、すごく好き。世界変わると思うよ。


赤石さん、レポご苦労様でした。




昨日は、母が入院していた病院に行きました。
その病院には、母のいるホームの嘱託医がおり、その先生から
「お話したいことがあるので」という事で呼ばれたからです。
その席には、私の他に、兄、兄嫁(義姉)、ホームの介護員の方2名、の計5名が出席。


先生からまず話しがあった。

今すぐどうのこうの言う話ではありません。ただ、この(多発性脳梗塞)という
病気における症状をちゃんと理解していただき、いろんな事故や体調の急変と
常に隣り合わせであるという事を踏まえ、いつそういう時が来るか分かりませんから
その時の為に延命措置というものについてのご家族の方の意見をお伺いしたく
お集まりいただいたという次第です。


私はその先生の言葉に一瞬ビックリした。私はてっきり
「今後の病院やホームでのケアについての説明や、治療内容についての話しを
されるんだろうな〜だからホームの方も一緒に呼ばれたんだろうな〜」って
ただ漠然と思っていただけだったから、先生の口から延命措置という言葉が出てきた時
一瞬「へっ?」って感じだった。

でも、一瞬ビックリしたけど、動揺はしなかったです。
それは‥もう私の中ではハッキリとしていた事だったから。


その後も先生からの話しは続き、意見が求められ、しばしの沈黙の後
まず兄が、そして次に義姉が、それぞれの意見を話した。
そして最後に私が‥

私は、例えば明日、というより今日いますぐに、母との別れが来たとしても
それはもう覚悟しています。今の母を見てると、いつどういった事故が
おきてもおかしくない状況だということは十分承知してますし。
それに私は無知です。だから緊急な場合、医療的に延命措置として
どのような治療があり、それをどこまではやって欲しいけど
どこまではやらなくていいというような具体的なことなどさっぱり
分からないのが事実で、だから何も申し上げられません。
ただ、それらを踏まえた上でも、私個人の意見としては延命措置を望んでないです。
それより私が今一番望むのは、入院中にも「早くホームに帰りたい」とばかり
言ってた母ですので、1分でも2分でも多く心穏やかにホームでの
時間を過ごしていってもらえたらなという事だけです。もうそれだけです。
その為に必要な治療やホームでの介護であれば、心からお願いし希望しますが
緊急な場合の延命措置は望んでいません。


それが私の考え。


ただ、先生の話の中で何度も出てきた言葉があった。
それは「責任」という言葉。
母に何かあった場合、その責任の所在について‥といった内容。
結局、後になって責任の所在を巡って対立に発展するケースもあるから
今のうちにその辺の事について明確にし、その在り方を
こちら側に意識させたいんだな〜と思いながら聞いていた。
病院側・ホーム側としても、その辺を一番ハッキリさせたい事なんだろうし
別にイヤな思いとしてではなく、当然な事なんだろうと感じながら‥


で、そのことについても、また生意気な事を言ってしまった私。笑

私たち家族は、なんだかんだ言っても結局母の生活のすべてを
ホームで見てもらっている訳で、本当にそれは感謝しています。
昼も夜もなく働く職員の方たちの姿には、本当に頭が下がる思いで
だからこそ家族として何も口出し出来ないと思ってしまうのも事実です。
それに、たくさんの入居者の方がいらっしゃる中で、母にだけ
常に付いてる訳にもいかないでしょうし、いくら注意して見て下さったとしても
今の母の症状からすると何時どんな状況に陥るか分からないですし。
だからその辺の事は十分理解し承知してますから、後になってホームに対し
責任についてどうのこうの言うつもりはまったくないです。
病院側に対しても同じ気持ちです。
ただ、現実的なことではなく、目には見えない気持ちの問題ですが
ホームの職員の方たちにはお願いがあります。
今いくら延命措置を望まない、責任の所在を追及しないと
ここで家族側からの意思の確認が出来たからといって
「何もしなくていいんだ」という気持ちで母に接して欲しくはないと
願ってます。母だから言うのではないのですが
是非最後の瞬間まで、敬い、尊ぶ気持ちを持って一つの命と接していただけたらと
本当に本当に思っています。お願いします。それだけはどうぞよろしくお願いします。


私の言葉(思い)はどんなふうに映ったんだろう?
先生にも職員の方にも‥


結局その後、1時間半ほど話し合いは続いた。
そして私と兄たちは病院を後にし、それぞれの車で母のホームへ‥


車の中でもいろんな事を考えてた。


「延命措置」「責任」‥なぜか違和感が拭えないでいた。
医師のほうから延命治療への方針を家族に問いかけるのも、自然な事なんだろうな
と思う。一概に延命治療と言っても、その状況にもよりけりだと思うし
一人一人違った意見や見解があるのも当然だから否定は出来ない。
だからこそ本来、本人の意思が最優先されるべきことで、日頃から家族で
話し合っておくことも大切なんだな〜と思う。
母は常々、何かあった時、延命治療は望まないと言ってた。
でも私たち家族として子どもとしては、どこからどこまでが延命治療なのか
一定のラインを決めて判断するのは難しいよ。
でも、それでもそれを踏まえた上での私の今の気持ちを
母はどう思うだろ?それは私にも分からない‥
それに本音を言えば、大切で大事な事だということは十分分かってるけど
でも今の私にしてみれば、そんな事よりも大切なのは「今」で
「今」の母の尊厳を重んじることのほうがもっと私には重要なことなのに‥
あ〜〜「延命措置」「責任」その言葉がグルグル頭の中を駆け巡る。


そんなことを自問自答しながら車を走らせホームに着いた。
私と兄たちが部屋に行くと、母は車イスに座っていました。最近ずっと寝たきりの母ばかり
見ていたから、なんだかすご〜く新鮮。その日の母はとても機嫌が良く
体調も見違えるほど元気でビックリした。顔色も良く、とにかく
よくしゃべる!笑。まぁ〜たまに又幻覚を口走ったり
何かを急に思い出したように泣き出したりするんだけど
ひとつひとつの言葉もはっきりし、「桜餅が食べたい」とわがままも出るぐらい。笑
そして私たちは4人でいろんな話をしては、みんなで笑い合った。
特に、兄がシワシワに垂れ下がった母の頬の皮膚を引っ張り上げ
「こうだったら、もっと美人さんなのになぁ〜」と言ったら
母が「じゃ、ずっと押さえてて」っていうもんだから
それから3人で代わる代わる母の顔をあーでもないこーでもないと
いじくり回し百面相し、みんなで涙が出るぐらい笑い合った。
こんな時間が、今は本当に尊いものだと感じる。


そんな母の笑顔を見て思った。
なんだか「延命措置」や「責任」といった言葉が滑稽に感じると。
大事な事は分かってる。そのあり方をハッキリさせたい事も分かってるよ。
でも今の私には、それ以上に「今」が大切。
だから終末医療に対する自分なりの見解はひとりひとりが見出すもので
それを定義づけしようとすることは、どうしても違和感が拭えない。
とにかく私は私が出来る事で、母との今を向き合おうと
母の笑顔を見て強く強く思った。
とにかく母に穏やかな時間が少しでも多く流れますように。
今はとにかくそれだけを望んでいます。



あ〜〜〜またひとつ、現実を見た‥そう感じた一日だったな〜
でもまた母を通していろいろと教えられた‥そう思えてます。ありがとね。


あっ、そうだ。母の顔に異常に長く伸びた毛が一本生えてたから
今度行く時、顔ソリを忘れないで持って行こう。笑