最近PCに向かって日記を書こうと思っても
書きたいことはあるのに、すべての言葉が「ある事」に向かってしまって
知らず知らずのうちに言葉を選んでしまい
それに囚われて結局日記が書けない日もあったり、
書いてもどこか上の空だったりしてしまいました。


初めは書くつもりもなかった‥というか、書く事じゃないからと
思っていたんだけど、心ん中に溜め込んでおけない私は
スッキリしたくなってしまいました。
だから、自分のために書かせてもらいます。笑






「ある事」とは母のこと。
最近母の心が弱ってる。「生きる」ということに投げやりになっている。
しょっちゅう電話をかけてきては、何も言わずただ電話口で泣くばかり‥
先週会いに行った時も、「もうあまり見えない‥」というその目で
まるで今の孫の姿を必死に忘れまいと脳裏に焼き付けるかのように
食い入る様にただただ無言で泣きながら子供たちを見つめ続けていた。
そんな母の光景に、少し戸惑い緊張した面持ちで
言葉を発することも出来ず、母の前にジッと固まって座っていた子供たち。
「何故泣くの?」そんなこと、今の母にあえて聞かなくても
その存在が物語っているから、私はただそんな母と子供たちの横で
洗ってもらった洗濯物をたたんでいた。涙を必死に我慢して‥


老いを生きるということ、衰えゆく体を受け入れ生きるっていうことは
どういうことなんだろう?
どれほどまでの苦痛や恐怖に怯え、耐えていかなければいけないんだろう?
今の私がそれを「分かる」と言っても、現実は、私の考えなんて
絶するほどのものなんだろうということは分かってるよ‥


母は、歩行器を使ってゆっくりなら少しの距離歩けるほど
足の痛みは回復したものの、一人では危ないという事で
一人自由に歩行器を使って歩くことを職員の方に止められている。
だから誰か付き添ってくれる方がいない時は、車イスを利用した生活。
ただ車イスを自分で動かすほどの腕の筋力もないため、誰かに押してもらわなければ
行きたいところにも行けない状態。
そんな、だんだん自由が利かなくなってきた衰えていく体が
母の心までもを弱くし、孤独に押しつぶされそうになっているんだと思う。
大好きだった散歩も、ゲートボールや貼り絵も出来なくなり
周りの言葉も母の心には届かず、一人何もかも初めから諦めてしまうように
なってしまった‥
今の母を見てると、結局「生きる」ってことは
自分と向き合い、自分の心の在り方を表すものなんだなって感じる。
だから今の母に、たとえ私が何を言ったところで
母自身が今の状況を受け入れた上で自分自身と向き合わない限り
何も思いは届かないかもしれない‥
でも、でもさ、不謹慎かもしれないけど、
自分の存在に意味を見出せなくなってる、そんな今の母の存在すら
私にはいろいろなことを、教え・考え・学ばさせてくれるんだよ。
貴方のその存在に無駄なことなんて何一つないんだから。
良いも悪いもすべての事が、いろんな意味で私の心を
育てていってくれているんだから。
だから、今の自分から逃げないで。諦めないで。
どういう状況になろうとも、今の自分に出来ることを
見出す力を持ち続け、探し続け、求め続けて欲しいと思う。
その苦痛や恐怖が計り知れないものだという事は
痛いほど私にも伝わってくるよ。
でも、今の、今だからこその自分を楽しむ事だけは忘れないで。
どんなことだっていいから、楽しむこと・感じる心まで諦めないで。
その気持ちから逃げないで欲しいと願う。
窓から見える空模様や、ひんやりと冷気を含んだ空気が
今は秋だと教えてくれていることを感じられる楽しみを
嬉しく受け入れようよ。
それはとっても幸せなことだと思うから。
私は優しい言葉もかけられないけど、
でもお母さんの心に寄り添い、ちゃんと受け止める。
だから、嫌な部分も弱い部分もひっくるめて
今の自分と向き合って欲しいと願ってます。




あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜スッキリした。
「書く」ということも、自分と向き合うことのひとつ。
だから、自分のために書きました。
でも今回、話題が話題なだけに重いから(笑)赤石さんに初めて
こういう内容を書いていいか相談した。
それに対し、快く受け入れてくれた赤石さん。ありがとう。
おかげで何だか心が楽になった感じです。
日記更新頑張ります。笑


わぁ!!!!今午前1時半ですが、テレビで佐渡の海の生き物の
特集番組始まった〜〜〜。
綺麗だ‥四季折々の海の表情を映し出し、海底に住む生き物たちの
様子を伝えてる。
こんな海の表情を身近に感じ、2人は生活し歌を紡ぎ出していってるんだね‥
これからも、2人の音楽に支えられていこう。甘えさせてね。笑